この66秒のために…
そして、ローキックでダウンを奪った。急いでコーナーで待機した。のだが、そこは赤コーナーだってことに気付き、ニュートラルコーナーへ急いだ。「もう、絶対ローはダメだ!ローはダメ!」って羽田会長の指示(さすが、アメリカの客を熟知した冷静な指示だ)が聞こえた俺は、゛初心忘れるべからず゛とばかりに飛び前蹴り、、、を、したが不発。すかさずハイキックを蹴った。盛り上がったようだ。ヒット。K.O勝利。要した時間は1分6秒。66秒だった。この66秒のために、毎日1時間以上走り、2度のジムワークをしてきた。この66秒のために何ラウンドもミット蹴って、殴って、サンドバック蹴って殴って、スパーリング何十ラウンドもした。この66秒のために、毎日毎日、何日も何日もドキドキしてきた。このアメリカでの66秒のために、今までの出来事があった。この66秒のために片道13時間以上飛行機に乗ってアメリカにやってきた。この66秒のために毎日毎日、食事を制限してきた。この66秒のためにチーズケーキがパンチで潰された。(笑)この66秒のために、、、、、って、きりがないから、この位にしとこう。なにはともあれ、たった66秒に、いろいろ詰まってるってことで、感動するのであった。
リング上でベルトが巻かれた。「ヤッホー」だった。あっ、そうだ、せっかくだから、「ヤッッホォーーーー」って、リング上で記念に叫んどけばよかったかなぁ。
こうして、1ラウンド66秒K.O勝利を飾ったのでありました。めでたしめでたし。(終)
試合後は日米で集合して、アルコール。超ひさびさびさぶりに、付き合いで、2口だけ飲みました。それほど、特別な日ということだった。そして、、、、、、、食べ続けた。食べ続けた。食べ続けた。食べ続けた。そして、朝の5時には、もうホテルを出発だった。ハードスケジュールだ。食べ続けた。食べ続けた。食べ続けた。そして、ヒューストンを朝の10時に飛び立って、食べ続けた。食べ続けた。13時間飛行機に乗って、日本には、何故か次の日の夕方に到着した。(またまた凄い時差であった)そして、成田エクスプレスの駅のホームで食べ続けた。食べ続けた。食べ続ける俺を見て、一緒に来日したデルクックが「食べ続けるのは良いことだ」と誉めてくれた。「サンキューベリーマッチ」って言って、食べ続けた。食べ続けた。そして、次の日からも、食べ続けた。食べ続けた。食べ続けた。食べ続けた。食べ続けた。食べ続けた。
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